こちら、無事終了しました。北村さん、関口さん、本当にありがとうございました!アーカイブはまだ間に合います!よろしくお願いします!本も好評発売中なので買ってください!
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2026年2月1日(日)13時〜15時 アドリアン・ダウプ『「キャンセル・カルチャー」パニックーーパニックを生み出す言説空間』(青土社)刊行記念イベント 「キャンセル」という言葉があぶり出すもの、隠すもの
books-lighthouse.com/portfolio/26...
今日は上記イベント開催後に通常営業となります٩( ᐛ )و読む前の予習としてもおすすめです(私が2回読んで理解できるところが増えたから٩( ᐛ )و)。配信&アーカイブもあります٩( ᐛ )و
本当に支持者なら、ここ数年の立憲民主党の代表選や選挙での政策を追ってみれば、急旋回でもインパクトでもなんでもないということが理解できているはずでは。
「比例に中道と書くと旧公明系を当選させるだけだから書く気が起こらない」という旧立憲支持者は制度を理解していません。旧公明系が当選する分の比例票は旧公明支持者が既に捻出している。これから中道に入る票は、あなたが支持してきた旧立憲系議員の当選に関わっているのです。 #中道改革連合
それは正論ですが当時は大政党の間での政権交代が頻繁に起こることは当然であり、またファシズムに対する研究も不十分であった時代なので、今の政治風景に単純に当てはめることはできません。ただ理念に準じて玉砕するのは別に悪いことではないと思っています。
右派と左派が共通して信じている物語があって、それは「立憲民主党があらゆる信念に屈して創価学会の軍門に屈した」というもの。これは合流までの経緯や合流後の政策や個々の議員の振る舞いを具に見ていくと全くそうは言えないのだが、複雑性を排除した「文学」に飛びついてしまうのが人の弱さ。
共産党の議席増や社民の大椿さん当選は切望するが、左派政党およびその支持者が、中道結成以後、いささかパニックめいた「それは事実に反するやろ」「そうはならんやろ」的な扇動をしているのに閉口している。
高市自民党を大勝させることは歴史の加速装置に手を貸すことであり、その力の前では社共の議席が数議席増えたところでどうにもならない。中道と自民との大連立なんかよりも遥かに恐ろしいことが起きる。
最悪の破滅を受け入れて、信念のために玉砕するのは正しい。しかし勝てない候補者や政党に投票することに、あたかも合理性があるように装ってはいけない。単純に信念のための玉砕であることは自覚しないといけない。
選挙も迫ってまいりましたが、『「キャンセル・カルチャー」パニック』のイベント。今週末に迫ってまいりました。2月1日です。よろしくお願い申し上げます。司会の北村さん及びlighthouseの関口さんと「キャンセル・カルチャー」について喋ります。現在の政治にも通ずるところがある話です。https://books-lighthouse.com/portfolio/260201/
アドリアン・ダウプ『「キャンセル・カルチャー」パニック』の電子書籍版が購入できないという問題ですが、トラブルが解消しまして、現在は購入できるようになっているとのことです。よろしくお願いいたします。
amzn.to/4pFszS7
日付かわって本日発売です。
アドリアン・ダウプ『「キャンセル・カルチャー」パニック』みなさんよろしくお願いします。「キャンセル・カルチャー」言説に対してだけでなく、いろいろと応用が効きそうな内容だと思っているので、とにかく広く読まれてほしい。
amzn.to/4pgm0FA
日付かわって本日発売です。
アドリアン・ダウプ『「キャンセル・カルチャー」パニック』みなさんよろしくお願いします。「キャンセル・カルチャー」言説に対してだけでなく、いろいろと応用が効きそうな内容だと思っているので、とにかく広く読まれてほしい。
amzn.to/4pgm0FA
翻訳のお仕事をしました。アドリアン・ダウプ『キャンセル・カルチャー「パニック」』(藤崎剛人訳)が青土社様より12/26に出ます。乱暴に要約すれば、キャンセル・カルチャー「現象」は存在しないことを言説分析によって明らかにする画期的な本。年末年始の読書のお供に。
www.seidosha.co.jp/book/index.p...
ところが、それでは応援してくれたネトウヨたちに申し訳が立たないと思ったのか、単に感情的にムキになったのか、高市は総裁選で言っていたような踏み込んだ発言を何の調整もなく答弁してしまった。だから→大串がうっかり言ちゃったなら撤回して従来の政府答弁に戻した方がいいし、戻さないなら言葉に責任を持て(政府見解にせよ)と要求することになった。
立憲議員の主張は「日本はこれまでの曖昧戦略を継続したほうがいいよね。それだと高井首相の平素の主張と整合性を保てない?そんなの高市首相が恥をかけば済むことでしょ」というもの。質問側に責任があると言ってる人は、高市早苗の能力を相当低く見積もっていることになる。
そもそも高市早苗が総裁選中に台湾海峡について踏み込んだことを言いまくる→岡田克也が「総裁選中に色々言ってましたけど首相になってからの見解はどうですか(当然、これまでの政府答弁を引き継ぎますよね)」という趣旨の質問。いろいろ勇ましいこと言ってたけど所詮は口だけだなという印象はつくが、普通に考えれば高市早苗にはそうする以外の選択肢はなかった。
翻訳のお仕事をしました。アドリアン・ダウプ『キャンセル・カルチャー「パニック」』(藤崎剛人訳)が青土社様より12/26に出ます。乱暴に要約すれば、キャンセル・カルチャー「現象」は存在しないことを言説分析によって明らかにする画期的な本。年末年始の読書のお供に。
www.seidosha.co.jp/book/index.p...
私の解釈では、安倍晋三はカテコーンだった。彼の政権のもとで日本の課題は遅延されてきた。(防ぐのではなく先延ばしされた)。彼の死後、もはや先延ばしにできない課題が現前することになった。高市はカテコーンになれない。現実と向き合わなければどうしようもない。
hbol.jp/228615/
欧州各国の例を考えると、日本の人口規模や経済力からすれば毎年1万人ぐらいの難民なら(きちんと受け入れ体制を整えるなら)社会に吸収できるし、それは現役世代や次世代の増加というかたちで社会の活力になるのに、そのはるか手前で排外主義にやられているので欧州と同じ状況でもない。
日本の国籍取得の要件は難しいし、難民受け入れを今の100倍にしたところで2015年のシリア難民以前の、まだAfDが議会進出できなかった頃のドイツの受け入れ数にも満たないんだから、日本に欧州的「外国人問題」があるなんていうのは大げさ、針小棒大。移民難民の人権や包摂のための施策は当然必要だとしても。
この2×2の、ときには互いに矛盾するような組み合わせの中を、排外主義者は自由に動いていく。あるときは文化の話をしていたと思えば、同じ人が別のときは経済の話をしている。四つの象限の全てが主張しているのは、外国人は日本に害をもたらすということであり、それさえ言えれば何でもいいわけである。
排外主義をグローバリズムとローカリズムの象限で分けると、前者は「日本は自由で民主的な近代国家であり、イスラームなどの近代的な価値観を有していない外国人を受け入れると世の中が乱れる」となる。一方、後者は「日本には固有の文化がある。しかし外国人が増えることでグローバルな規範の採用圧力が強まると日本の文化が棄損される」ということになる。
次に、排外主義を優越性と劣等性の象限で分けると、前者は「中華系などの富裕な外国人が日本の土地を買いあさって侵略してくる」となり、後者は「不法入国した貧しい外国人が豊かな日本にたかっている」となる。
「急に自分の近所が言葉の通じない外国人だらけになったらどうするんだ!」というのが右翼が恐怖を煽って人々を排外主義に誘導する手法なんだから、「そうなったら確かに怖いですよね」は排外主義への加担ですよ。言うのであれば、「幽霊を恐れてるんですって?幽霊はいませんよ」と言わなきゃ。
そして、この図式は近年の日本にも当てはまるかもしれない。外国人は、観光客・難民・技能実習生・永住者・特別永住者すべてひっくるめて「外来生物」扱いとなり、潜在的に日本社会を脅かす「エイリアン」として恐怖されている(もちろんすべてではない。可愛いギズモのように無害な怪物もいる。ただし夜に食事をさせないために必ず檻に入れて飼うこと!)。しかしそのようなマジョリティの恐怖心からくる妄想的な世界観そのものが、マイノリティに対する暴力につながると自覚する必要がある。
この点に関しては昔『デトロイト』という映画を批評する中で論じた。
10年ほど前から、アメリカで差別(特に人種差別)を扱ったドラマや映画は、その差別を「ホラー」の手法で表現するメソッドが確立してきたが、それはラヴクラフトからロメロまで、これまでのマジョリティによるホラー作品が、得体の知れない化け物の中にマイノリティを投影してきたことを反転させている。マジョリティはマイノリティの伸長に恐怖しているが、実際日常的に怖い思いをしているのはマイノリティ側だということ。
「外国人の脅威」や「LGBTの脅威」については一笑に付すことができるのに、「WOKEの脅威」や「キャンセル・カルチャーの脅威」は聞き流せないリベラルが多い問題。発信源は大体同じところ((特にアメリカの)保守派)にあるのも分かっていると思うのだが。
結局、日頃から発言に気を使ってることに被害者意識を持っている中高年男性の物書きや学者は、差別がアテンション・エコノミーを利用することを理解していても、「アメリカの大学教員が差別発言一つでクビになったらしいよ」という噂話をアテンション・エコノミーの手法で聞かされ続けると信じてしまう。