妻がガバッと冷蔵庫を開けた。
「あ。パジャマない」
(間)
「いや、牛乳」
頭の中では牛乳のつもりが口から勝手にパジャマとでたらしい。
やばすぎ。
妻がガバッと冷蔵庫を開けた。
「あ。パジャマない」
(間)
「いや、牛乳」
頭の中では牛乳のつもりが口から勝手にパジャマとでたらしい。
やばすぎ。
大きな蜂が飛んできた。スズメバチだろうか。思わず首をすっこめたら、蜂は僕の背後に周った。羽音が大きくなったと思ったら、僕のうなじに止まった。ええ!どうしよう、刺されるやん!体は恐怖で固まってしまった。しかし思い切って腕を回し「おおおお!」と払い除けた。
目が覚めた。腕を空中にあげたまま。隣で寝ていた妻も僕の声で起きてしまったようだ。
「もう!寝てる時まで声大きいな!」って。
歌人前田康子さんのポストに影響されて、詠んだ。
飛翔体赫ふ空はジェノサイド リビングの結露を拭く朝に/門哉彗遙
今日(2月23日)の毎日歌壇に掲載されました。伊藤一彦さんに選んでもらえました。1月21日にポストに投函したやつです。
多数派が正義であると一概に言える訳なし歴史が語る/門哉彗遙
今日も歌会に出かけた。
歌会はまるで言葉の温泉に浸かっているようだ。そして今日も湯当たりしてしまったようだ。
「今日のアメリカ文学はすべて『ハックルベリー・フィンの冒険』という一冊の本から生まれている」とアーネスト・ヘミングウェイが言ったそうだ。
この『ジェイムズ』はその『ハックルベリー・フィンの冒険』に登場するジムという黒人奴隷の視点からリメイクされた作品で、2024年に全米図書賞とピュリツァー賞を受賞している。
物語の中心はジムの逃亡劇だ。奴隷は逃亡するだけで重罪であり、指名手配をされてしまう。追われながらも知恵を働かせ、売られてしまった妻と娘を救出に行くジム。最後に「私はジェイムズ」と名乗るところが最高にカッコいい。「モノ」としての奴隷から、尊厳ある「ヒト」になった瞬間だ。
ベランダの片隅にドライフラワーになった紫陽花が落ちていた。どこから飛んできたんだろう。
人々の考えというものは、当たり前のことですが、まるっきり同じ人はいなく、つねにグラデーションで境目はなく、きっちり分断できるものではないのです。
と、頭では分かっているんですが。
さて、今夜はやっすいスコッチを呑みながら、つかもっちゃんでも読もうか。そういえば旅芸人のつかもっちゃんは、どうしてねんやろう。
今日は鴉の多い日でした。
スマホを向けると電線にとまっていた鴉たちが一斉に飛び始めました。
とあることがきっかけで読み始めた塚本邦雄の「水葬物語」。難解な歌ばかりなので、理解のためのヒントが欲しくなり読んだのがこの「レダの靴を履いて」だった。
読了した今もやはり難しいことには変わりないが、読むほどにおそらく脳が柔らかくなり、楽しくなってきたのだ。感性の自由を得たのかもしれない。
毎日歌壇に八ヶ月ぶりの掲載です。伊藤一彦さんに選んでいただきました。ありがとうございました。
ゴミ箱も時刻表さえもはずされて苦情いうべき駅員も消え/門哉彗遙
20260208
塔一月号に五首掲載して頂いた。十首出して五首だから50点ということか。むずかしい!
しかし掲載される月を考慮して歌を出すべきかな。こんな寒い時に蝉だなんて。
ベランダに寒蝉がやってきた お布施はなにもございませんが/門哉彗遙
お米には失礼なのでパンツ履き米を研ぐなり蝉鳴かぬ午後/門哉彗遙
信号機の細き日陰に人々は縦に並びて青色を待つ/門哉彗遙
炎昼のビル工事前亡き骸のハトのごとくに軍手転がる/門哉彗遙
朽ちたれたごとくスピンは短くて図書館で読み解く「春と修羅」/門哉彗遙
男性が放尿をしようとする時に感じる、特に寒い冬の日の二重感覚。それは冷たいとあったかい。性器を掴んだ指先からは性器のあたたかさを感じ、掴まれた性器は指先の冷たさを感じる。現象学としての二重感覚だ。一人の中に二人の自分がいる。
『もし植物に、人間の言葉を理解する能力があったなら、「緑の地球を守ろう」というスローガンを聞いて、腹を抱えて笑うに違いない。
……緑を守る? 思い上がりも甚だしい。お情けで、生かされている立場を自覚したほうがいい。
動物に対する生殺与奪の権限を握っているのは、地球に生息する生命全重量の99%以上を占める植物である。
植物に対する動物の割合は0.5%から0.3%程度で、人間となればたった0.01%に過ぎない。そんなちっぽけな人間が、しゃーしゃーと「緑の地球を守る」とスローガンを唱えるおかしさは、生まれたばかりの新生児が「パパとママを守る」と宣言するようなものだ。』
ユビキタス/鈴木光司
堺の歌人、小西美根子さんの第一歌集「風の襲(かさね)」(2001年出版)を読んだ。美しい歌から情念的、
幻影的なものまでさまざまな歌があり楽しく読め、刺激を受けた。
その中から三首。
夕風に乗り得ず暗きわが軒を「ひ」の字をなぞり蜻蛉迷える/小西美根子
はなびらのひとひらすらも零さずに桜の一樹漲(みなぎ)りて立つ/小西美根子
ひとひらはひとひらを追いやがて地にもろともに消ゆ 雪の心中/小西美根子
志垣澄幸さんの2014年に出された第12歌集を読み終えた。
志垣さんは僕の父親と同じ年齢で、いまなおご健在。
どうして宮崎県人にすてきな歌人が多いのだろうと思う。
創作意欲を刺激してくださる歌の多いことよ。
翳りもつ静かの海をみせながら菜の花畑にのぼりくる月/志垣澄幸
もう疾(と)つくに蟬ら一生を終へてをりともに在りたる夏想ひゐる/志垣澄幸
やさしさがいつも邪魔する鰯雲の後尾かすかに夕焼けてゐて/志垣澄幸
堺市民芸術祭の堺短歌大会に参加した。詠草は八月に五首送っていたが、残念ながら一首も入選せず。充実した短歌会であった。運営に関わった方々に感謝。
縁先に煙草燻らす父のゐて父の向かふに紫陽花の藍/門哉彗遙
朝涼の庭の盥に洗濯をしてゐる母が微笑む我に/門哉彗遙
星月夜チェリストのごと磨きをり硝子のやすりであなたの爪を/門哉彗遙
冬の朝熱き少女がわれを抜く白き自転車生足ペダル/門哉彗遙
一瞬に全てが赤の信号に 指に触れたし少女の指に/門哉彗遙
『それがわかるのは、わたしも重度のギャンブル依存だったからです。けれど何かに「依存」するのは、楽しいからではありません。ギャンブル依存者にとってギャンブルがもたらすのは実は苦しみです。ではなぜやめられないのか。「生きる」ことそのものが苦しいから、別の苦しさに逃げるのです』
生きることに苦しい人はごまんといるだろう。維新が決行するIRカジノに、そんな人たちが引き寄せられていくだろう。そんな場所には外国人か富裕層しか行かないと言っている人がいるが、そんな訳がない。韓国の事例を知らないのだろう。万博はそんな場所を作るために行ったということも忘れてはならない。
第二次世界大戦時に日本軍の占領下に置かれたパプアニューギニア北部のニューブリテン島。その東部がラバウルで西部がグロスター。その距離は直線で430キロ。歩けば1000キロあり、ラバウルまで撤退する中多くの兵士が亡くなってそうだ。
そしてそのグロスターにまだ不発弾や戦車などがそのままあるようで、焼畑をすれば今も不発弾が爆破するらしい。記事を書いた人も滞在中に爆発したとか。
やはりまだ戦争は終わっていない。
20251016毎日新聞夕刊
政治的手腕もない麻生がボスの座から降りることもなく副総裁の椅子に座る。永田町では政治的成仏することもなく妄執を抱えた人たちが彷徨い続ける。
『その彼らが、我らが汗水垂らして働き、あるいは欲しいものも我慢して、懸命に支払った税金の使い方を差配し、時に政争の道具にする。心底う、腹立たしい』
烈しく同意!
20251015毎日新聞夕刊
読みたい本がいつもいっぱいあって、図書館の予約はいつもマックスの15冊になってしまっていて、それでも予約したい本が出てきた時は、予約数の少ない本をキャンセルして、新しく予約する。そんなことをしているから購入本がいつまでも積読のままなのだ。今月も何冊購入したことか。
折句作ってみました
たかのぞみ
いうわけじゃない
ちっぽけで
ささやかな願い
れいしすと去れ/門哉彗遙
どうぞ宜しくお願いします。
大屋根リングの向こうに見える、林立したクレーン車がおぞましい。本性あらわしたなって感じがする。
石破が「戦後80年に寄せて」のメディアについて語っているところは不十分だと思う。
新聞紙条例〜新聞紙法に触れられていないからだ。メディアはその法律でかなり規制されていて明治時代には多くの新聞社が潰されている。確かに部数を伸ばすために政府方針を盛り上げたのはジャーナリズムとしてどうなのかという面はあるが、その下地が法律によって縛られていたというのは看過できない。
なので以前高市が電波規制法で言論を封じようと脅そうとしたことは許せないし、今のマスコミが、万博の裏にある本来の目的のカジノ建設を見なかったように、ほとんど報道しないのも、なにを忖度しているのかと腹立たしい。
『新総裁の高市早苗さんがこのまま首相になるのだろう。ふーん、という感じ』
高市の「元米連邦」なんちゃらという肩書きのことや、4年前に「国旗損壊罪」を新設しようとしたことや、「外国人が奈良の鹿に」なんちゃらという発言などについて、『高市氏は権力者としては、事実確認や言動がルーズというほかない。危うい人だと思う。心配ごとのタネが、また増えた』と書いている。
ここまで記者が自社の新聞に書くって素敵だ。他の新聞社ではあり得ないかも。毎日新聞の懐の深さよ。
毎日新聞20251008夕刊
三木清の「人生論ノート」を読んでるが、ぜんぜん頭に入ってこないのである。たぶん挫折する。でも漢字がかわいいのである。たとえば懐疑の懐とか独断の断。
「懷疑が方法であることを理解した者であつて初めて獨斷もまた方法であることを理解し得る」
昨日が十四夜の中秋の名月。
そして今夜は十五夜。
ひさしぶりに一眼を使った。
使い方を忘れて
最初はぼけぼけだったけど
なんとか撮れた。