喫煙所でセックス連呼してる女が懲役10年喰らうかもとか言っててこいつナニしたんだ?になってる
喫煙所でセックス連呼してる女が懲役10年喰らうかもとか言っててこいつナニしたんだ?になってる
もう水戸岡デザインはいらなくないか……?
テレ東とかメ~テレが自社のホラードラマをYouTube配信してくれるのありがたい。ありがいんだが、うっかり寝る前に見ちゃうから夜中にトイレ行くの怖くて。
「ホッケールーブル」と言ったらギリギリ反応するタイプのGoogleアシスタント。
地下ブルースカイの空気に晒された物質は、摩擦の低下が観測されることが少なくない。
シャワーを浴びたので瀕死である。
シャワーを浴びないといけないが、浴びたら死んでしまいそう。
なんだっけ、黄色に紫をぶつけるんだっけ?なんかそういう色相環の話だった気がする。
白髪染めにほんの少しだけ(人の目には見分けがつかない程度に)紫を入れると、日光(もしくは強い照明)の下で綺麗なグレーに見えるという、理容士のテクニックが全国に広まる過程で、“紫を足す”というところだけが一人歩きし始め、いむしか「おしゃれ」に変質していったとかそういう話だったように記憶してるんだけど、諸説ありすぎるな。
そっかー……。夜中に猫の集会で頼むとかできればなー
「神は乗り越えられる試練しか〜」を「乗り越えられなかった人への侮辱」と捉えるのは、かなり現代的な感覚というか、別に「努力しなかったから乗り越えられなかった」「信仰がなかったから死んだ」とかそういう意味じゃない。信仰と希望を持って生きなさいというメッセージでしかない。たとえ救いがなくとも、他に何と言う?それを非信仰者が無責任と言うなら好きにしたらいいが。
これがぜんぶネットのせいなのかはわからないけど、たくさんの言葉が溢れるせいで、自分向けでない説教や慰めにぶつかってしまい、傷付いてしまうことが増えたのは、悩みを抱えるすべての人にとって不幸なことだなと思う。
「この励ましはあなたには有効だけど、あの人には有効ではない。むしろ逆効果」みたいな単純な話なのよ。
「神は乗り越えられる試練しか〜」というのは、神父が乗り越えられそうな悩みを抱える信徒に対して“助言”する言葉を、信仰もないような末期がんの人に使うのはおかしいでしょ。「やまない雨は〜」というのは、今は落ち込んでるけどそれは時間が解決してくれる系の問題だろうとわかる場合に、近い未来には自己解決してるよねという意味でかける言葉でしょ。
そういうのが、「そうじゃない人」への抑圧や脅迫のために使われているように感じさせてしまうように「聞こえる」のは、言葉のせいじゃない。
わかる。変な罪悪感生まれますよね。直径500〜1000m前後くらいで縄張りが重なるらしいので結構遠くの方まで行ってるかもしれないし、ふじおーさんが健康になりそう。もう一匹に紐付けて一緒に探したりとか。
外に出さない猫だと確かに縄張りから追い出される可能性は低くないですよね。ある日ひょっこり帰ってきてくれたりするといいな……
え……それはかなしい。
ひとつ上が気になる。
さす九みたいな名前のお店きた
例えば、「いつ自分がいじめられる側になるか怖くて、傍観者になるしかなかった」みたいな理由がまことしやかに一般論化し、そうだよね、怖かったよね、いじめられてる人には悪いけど人間自分が可愛いしそういうものだよね、と傍観者の“被害者ポジション”が確立した。でも、多少なりともいじめられてた経験のある人ならなんとなくわかるんじゃないかと思うんだけど、傍観者的にその立場を楽しんでた奴らって多かったよね。直接加担しないだけの。
救わなくていい理由と、そのシチュエーションを楽しむことって地続きだと思う。
「貧乏人に金を渡しても意味がない」「税金が湿布代に」とかそういうのに乗るのも同じ。
雨中の400-1が一生クリアできない。「〇〇か〇〇か〇〇がいればいける」みたいなのの〇〇が一人もいない状態。
毎年「今年は花粉多い」と言われている気がするんですけど気のせいですかね。このまま増え続けて花粉が1mくらい積もりだしたりしませんか。
別に異常者扱いされても痒くもないが、「日本で政治に興味を持つのは〜」みたいなことを言って正常をアピールしたら生活がよくなるなら私だってそうするわ。
「救われるのはリアリティがない」みたいなことを言い続けることで、「救わないこと」に言い訳が必要なくなったということなのかもしれない。「傍観者もいじめの当事者です」と一時期さかんに言われていたのが落ち着いたのもそれ。
素人質問で恐縮ですかがと言ってから、本当に何もわかっていない素人質問をしてみたい。
カリフラとケールというドラゴンボールにたまに登場するフェチみの強いキャラ……
充電器持って出なくても電池1桁になることなんてほとんどないから焦った。谷あいの田舎道は電波悪いし。みんな寝るときはちゃんと充電できてるか確認してから寝ような!
「同意」「解釈」「納得」「許容」「承服」などを、ぜんぶ「理解」という言葉に押し込めてしまっていがちなゆえに、「理解する」と言ったがために「お前はあいつの味方なのか!」とあらぬ誤解をうけることになったりする。私は基本的に「解釈」と「把握」の混ざったような意味で「理解」を使っているのだが、世の中的には「気持ちはわかるよ」みたいな同情的な意味が結構強く込められていることも少なくないのよね。「理解してあげて」みたいな言い方とか特にそれ。実は「相互理解」と言っても、頭の中ではまったく別の結論が導き出されてるのに「うんうん」と言い合っている。不思議。社会不思議。
絵でも何でもそうよね。読める人、書ける人、歌える人、踊れる人、みんなその前段階の訓練がめちゃくちゃな量求められる。でも、読むってインプットだから、アウトプットできるようになるよりも訓練の部分がわかりにくいように思う。なんか自然に読めるようになったような気になるというか。
人が文章を読むために必要な知識だったり訓練だったりって読める人が思うより膨大だと思う。合奏の技術に近い。
酒飲みながら聴くのにいいかんじのソウルミュージックみたいな飛型。