クリエイターの方々には、クリエイト部分で当然に敬意は持つのだけど、クリエイター神格化の風潮はあぶねえなと思ってたりはした。主にXとかで。
クリエイターの方々には、クリエイト部分で当然に敬意は持つのだけど、クリエイター神格化の風潮はあぶねえなと思ってたりはした。主にXとかで。
マンガワン事件(仮称)は、コミックLOや鬼畜系エロマンガ誌編集部とそこで描いている作家で起きていたら、雑誌廃刊どころか成年向け業界ごと燃える事態になったかもしれないので、エロオタはもっと深刻に考えるべきだし、表自カスは人として公言していいことと悪いことの区別をつけるべき。
まぁでもさ、物語とか作品に対して強く感動すると、「こういう物語(モノ)を作れるのはこういう人に違いない」という予断を招きやすい気はする。「作者の気持ち」を考えさせるのも良くないと思うしなぁ。作品から作者を透かして見ようという試みはほんと慎重であるべき
犯罪や戦争や人権侵害や理不尽が当たり前に出てくる漫画やアニメや映画というコンテンツにおいて、作者が必ずしも倫理的であると信じるのは無理ではあるんだが、せめてそうあれかし、と祈りたいところであった。しかしやはり必ずしもそうではなかった(もちろん、クリエイター全般がどうとかいう話ではまったくない、のだが)
【PickUp募集予告】
過去の罪をつぐなうエキゾチック部隊の新リーダー、SSRニケ E.H.(CV:#皆川純子)がPickUp募集に近日登場予定
指揮官の皆さま、募集の開始をお見逃しなく👀
◆募集期間
3月5日メンテナンス後~3月19日04:59
#NIKKE #ニケ #メガニケ #EH
マスコミ(メディア)が「市民の側」だとは(戦時中も戦後も含めて)まったく思わないけど、少なくとも市民の側が政治家を「マスコミを黙らせてすごい!」と称賛するのは、市民社会として不健全かもなぁとは思うよ。
SNSにいる市民に、適切な権力批判を期待するのは酷というもの(能力的にではなく、権力批判を行うに足る体力・リソースを持った私人は限られるだろう)。SNSはやはりメディアの代替にはなり得ない。
メディアが市民から見て「敵」になってしまったら、誰が権力を批判できるか。
あ
「望郷太郎」
人類社会の起こりを学ぶのにこの漫画はすごくいい気がする
>RP
宮城事件とかね・・・
敗戦後の大人たちが抱いた「戦争はもうこりごり」の中には、「子どもたちがまさかあそこまで真剣にやるとは思わなかった」が幾分か入っているんじゃないかという気がする。どうだろう。
怒れ人類、社会のために。
蕎麦屋の待ち時間など自分でいくらでもどうとでもなる。
自分一人でどうとでもならないことに集団で怒れ。
その怒りなら、結果どうともならなくても意味がある。
蕎麦屋でちょっとした優越感を受けた話を炎上させにいく人類、もっと怒るべきこと世の中にたくさんあるだろ、の気持ち
「サユリ」見たよ
めちゃくちゃ途中笑ったけど、後半まで見るとこれギャグじゃねぇな……という気持ちにもなり。
最後の瞬間まで泣いていたのはまぁ、そうだよなという気持ち。
www.netflix.com/title/82667067
曲解されるとアレなので書いておくけれども、別に物質的に不足がある人はイコール反倫理的になるということではない。
因果が逆で、現在反倫理的な言動をしている人には反人権思想とか他者への憎悪を生成する「背景」があるかもしれない、ということ。
そこに物質的・精神的な未充足があったとしたら、それは外部から何らかの働きかけ・条件整備ができる可能性がある。
もちろん、物質的精神的な欠乏を抱えた中でそれでも倫理的であれる人はいるが、それは並大抵のことではない。
あんまり言いたかないし今となっては忸怩たるものがあるけど、やまねこ自身もうつ病だった当時は今と比べてもものすごく利己的な考えだったし、うまくいってる他人を妬む気持ちもあった。攻撃的になってた部分も認めなきゃいけない。
(うつ病患者が必ず利己的で攻撃的なわけではない、あくまでやまねこ自身の至らなさであるが)
教育で人権や他者を尊重する「知識」は得られても、環境・境遇によってソレは簡単に見えなくなる。
無くなるのではなく、在るうえでソレを否定する論理をアタマの中で考えてしまう。教育はもちろん不可欠だけどね。
んで、ソレを一言でいうと「衣食足りて礼節を知る」なんだろうな。
>RP
これこれ
全部が全部そうではないけど、謎に他者とか人権という言葉を嫌悪してる人ってその人自身の境遇に問題がある場合も多いからなぁ。
単純化した言い方をするとストレスは認知を歪めるし。
そういう人は「カワイソウだから助ける」じゃなくて、「安定した条件下での判断ができるようになるまで、状況を整える」ことで解決に向かうこともある、はず。
生まれながらに他者への攻撃性が高い事例(遺伝的要因とか)もないことはないが、環境が与える影響ってデカいのは間違いない。
ただ、教育はすでに善と人権と倫理と法を教える体系になっていたと思うけれど、やまねこの子ども時代とはだいぶ変わってるのかな。
極右も差別主義者も人間であり、人権はある。
実効性がある人権状況の前進のために必要だが、今時点で欠けているもの——それは差別者へのケアではないのだろうか。
DV加害者、ミソジニスト、差別主義者、陰謀論者——このような人たちはアルコール中毒患者や窃盗癖がある人たちと同様に、ケア、治療を必要とする人々かもしれないのだ。(なかなか理解しにくいことかもしれないが)
空想的に聞こえるかもしれないが、課題としては頭の片隅にいれておきたい。
目下の対策としては、外形的な差別(言動に表れる差別)を法規制する取り組みと、教育の徹底。これを何世代か続けること。直近の課題は包括的差別禁止法だ。
> RP
「正しさを疑う」、「行き過ぎた人権を警戒する」、この種の言説が、あまり深く考えられずに流布されている。
「行き過ぎた人権」とは暗号化されたメッセージだ。翻訳すると「我々が、適度な差別をする権利を認めろ!」となる。
人権状況がうんと前進すれば、外国人をやり玉に挙げられなくなる。歴史修正ができなくなる。トランスジェンダー差別で結託できなくなる。カルト集団は解散させられる。要するに、極右の基盤がことごとく無効化される。これはとても都合が悪い。だから「我々が差別する権利を守れ!」と、あれこれ画策するのだ。
ではどうすればいいのか、考えてみた(続く
かわいい新刊ができました✨
描き下ろしの表紙お気に入りなので、ぜひ手にとって見てもらえたら嬉しいです!
通り向かいの建物が見えねえぐらい吹雪いてんな、まぁ出かける用事があるんだが❄
前々から調子悪かったPCがとうとう限界を迎えたくさい。
サブPCでどこまでやれるかなーー💻️
もっとも、そんな選択が合理的なはずはない。だから「コスパタイパ重視の合理的で賢い現代の若者」というフレームで見れば、そういう子は珍しいのかも。
でも、失敗したら終わりだぞ、周りからハブられたら終わりだぞ、という姿を見せてきたのは大人の側だかんね。
賢くて炎上しなくて賞賛されるオトナが安全な側にしか生きる場所はないという振る舞いをすればするほど、若者だってそうなるさ。
「みろ、オレみたいに、アホな生き方してたっていいんだぜ、幸せになれるぜ」って示せる非合理なオトナの姿が身近にあったならもっと…どうなっていたかねぇ。
正しさ間違いを自分で判断する、知識が足りなくてボコボコに批判される、いっときの感情で判断して深刻な過ちをおかす、でも群れにいれば、その間違いは起こらなかったり、それは間違いじゃないと言ってもらえるかも。それが必要な場面もあろう。
でもねぇ、個で判断して間違えまくって怒られまくって、石を投げられて、誰かのせいにできない全て自分の過ちだと、自分で自分の額を叩きながら、それでもそこにエクストリームな楽しみを見出し生きていく、ということもできる。しなくてもいい。選択はできる。
基本的にヒトが何かに所属したり、誰かと同じだと表明する行為には「恐れ」があると思っている
しかし何に所属しようが誰と同じだろうが、やはり一人一人は個で、所属するだけで強くなったり弱くなったり、正しくなったり誤ったりはしないもの
群れの中で個であるためには、中ではなくソトを見ることだ。群れと違うものを見て、群れと違うことを考えることだ
そうしてウチとソトの狭間の、本当に不安定な場所に精神だけ置いておく。怖さを感じたなら、個として在ることに気づけたということ。もとより怖いはずの世を、群れに囲まれて麻痺していたということ
正しさも間違いも、全て自分で判断しなきゃいけなくなる、ってわけだ
・連帯と同一化
・支持と全面委任
・支持と好意(推し)
・批判と非難
・信頼と思考停止
これらの違いが感覚的に掴めるといいんだけどな
まったく違うのに気持ち的にグラデーションだからな
ただまぁ別に新しい概念ってわけでもない。
付和雷同。
ただ昔よりSNSなりインターネットなり動画サイトなりで知識(情報)を得る手段が多いので、誰かが言っている”正論”・”直言”を自分の判断した価値観として再提示しやすいだけ、現代。
ニュータイプ付和雷同。
パワーバランスが崩れれば、別の強者に集うだけだろう。
(引用失礼)
これなぁ、若いかどうかじゃなく、「ルール(≠法・倫理)に従順である」という行動が、「そうしていれば批判されないから」という動機から生じるものだと、強者迎合と悪魔合体するよね
・批判・反対・否定されたくない(自分で自分を肯定できない)
・強い側につくと反対されない、または反対派を潰せる
・強い側の法令違反や反倫理を指摘、批判するのは自己批判になる
(または外部から批判される要素を作り出してしまう)
↓
強い側(俺たちが所属する)を批判する奴らが悪い
ただこれは陣営に限らず起こることだから、自戒も含めないと危ない。
「自分が正義の側にいる」と思いたい生き物だからね、人間。
現代の若者は、ルール重視
↓
そうだそうだ。法の支配を尊重しよう!
↓
裏金議員と統一教会汚染議員は、ちゃんと追放しろ!
違憲判決が出た生活保護減額は、ちゃんと補償しろ!
国連の人権システムが日本政府に勧告した改善内容は、誠実に遵守しろ! 独立した人権機関と、包括的差別禁止法をなる早で実現せよ!
……とならないのは、なにが阻害要因なんだろう?
あとこれは全く作家の責任転嫁をするつもりはないけど、世の中が悪くなっていくにつれて漫画の役割が「サンドバック」になっている現状も感じる。
(今も?)一時期ネット広告が「ざまぁ」「どろどろ」系が多かった事とかから考えるに登場人物を「叩ける」ものが人気が出てきたように感じるし、私の漫画とか全然そういう漫画じゃないのに登場人物の落ち度を叩いてスッキリするみたいなレビューがいくつもついた事がある。
世の中が病んでくると「エグさ」に注目が行きがちというのもあると思う。
思考を逡巡で終えるという半端な営みを繰り返しすぎてて、それが当たり前ではないことを忘れてしまってはならないな。結論なんてそう簡単には出ない、出ないけれど結論っぽいモノを置いて進むのが世の中ってヤツ。だけども誰かの置いた結論は多面体なんだろな、とちょっと惜しい気持ちもある。
正解が何かを論じるより、見方を変えるとどう見えるかのほうが、入口として広いし内部が多様になる。同じ出来事をこの人が体験した場合と別の境遇の人が体験した場合にどう違うんか、みたいな。「お前ら正解が見えてないからダメなんだ」の迫り方はなんというか、強制的な視線転換みたいでちょっとな。まぁそれも正解のひとつなんだろうが。