自分の絵が上手すぎて自分が感動した
自分の絵が上手すぎて自分が感動した
あと多分その次に接待の才能もある
自分が聞き役してると誰も彼もが楽しそうにベラベラ話し続けまくるし、バーとかスナック的なとこ行っても寧ろこっちが接客してるみたいに毎回なっちゃう感じで
自分って本来表立ってなんかする側よりかは裏でサポートするとか副リーダーとか参謀的な方の仕事の方が適正あるタイプなんよな という自覚
脳みそだけ貸すから代わりに動いてくれを出来る環境が一番輝ける
相棒がついに法人化した(大尊敬)ので、その役に立つためにとりあえず司法書士にガチで受かりたいという近況
(一応現状として秘書として向こうから任命されてる)
あと最近古物商許可証の申請も行ってきたけども、これめちゃくちゃ簡単な手続きなのに事務所に任せると結構かかるっぽくてビックリした
あと余談としてこれ系ので特許の方だと、技術を保護するのに特許として保護する方向性にすると技術の中身が特許広報に載って世に広く公開されてしまうので技術がまだ世に全く知られてない段階かつ漏洩以外の要因では模倣されようのないような内容のものなら不正競争防止法上の「企業秘密」として関係者による情報漏洩防止を徹底するって形で防衛する方向もアリだったりする
自分は商標実際持ってて去年頃登録査定が出た感じの者なんだけど、早期認定にこだわらないなら弁理士に頼らずに個人で進める方が断然オトクで初期費用が印紙代位で済む(住所隠すならバーチャルオフィスレンタル費用もだけど)
正式に登録されてない段階でも先願の原則があるから、先に出した者が勝ちで とりあえず出しとくって部分にも価値あるっていう
(自分はすぐに登録商標として振り回せる状態が欲しかったので早期認定のやつで弁理士に任せて4ヶ月位だったけど)
やばい服とやばい靴とやばいカバンだけ身につけて生きていきたい人生
シルエットが人外すぎてうれしい
(この形が好きすぎてブーツとスニーカーの2通り買ってしまった)
これはうさぎの足みたい🐇って言われたスニーカー
たしかにそうかも
惜しい
夢幻とリアルの等価性を体現する為に天然石とスワロフスキーどっちもジャラジャラつける
Rhinocerosを会得するぞ〜〜〜
野獣先輩は実は本当は元々存在しなくて、未来人がAIを用いて作ったものをふざけてリリースしてそれが現代においてもAIで二次創作され続けてる
みたいなSFあったら面白いと思いませんか、ってことをふと思った
メルカリガチ勢
😉
「ありえない所から出ている手」って世界問わずの古典的ホラー表現だけども、これアレなんだろうな、たぶん言語や思想宗教以前の人間の深層心理に関わってるなんかなんだろうな・・・www
"どこかから出ている手=そこに敵味方不明の誰かがいる事の警戒"
であるのか
"絶対に人が後ろにいない所にある手=同族の死骸、危険な場所の可能性高"
みたいな基本的センサーの発動に起因する事ではありそう
wwww
これ自分の3Dプリンターの初作品で、まだ一応塗りかけなんだけど 塗りかけの時点でもうリアルすぎて、ホラーごっこが出来るので爆笑してる
本当にやばいこれ、シュールすぎる
自分のケモナーヘキのはじまりはクラッシュバンディクーのココちゃんなんだけども、同世代にはクラッシュバンディクーが大抵伝わらない
(年の離れた姉が実家に置いてったプレステ初代でクラッシュと初期の頃のぷよぷよをやってた幼少期)
先月から最大で1日12時間くらいblenderいじってる(その大部分はスカルプト)ことにより、「やればできるかも」って自信がちょっとついてきた
あとunityも先月ちょっと触ってlilToon少し触るくらいのことはやってみたり(これもうまくいった)
極端な例えをするなら
「ワン」っていう鳴き声が何故ワンなのかに意味はないのに、それについてなるほどワンとはoneであり1を指してるんだな!みたいな確信をしてしまうのがASD傾向という特性なんだと思う
(ASD同士の会話では1を指したい時にしかワンとは言わないのでスムーズ)
ASDスペクトラム傾向のある人間と、無いとされる者とでは一体何が隔てているのかっていうのは
個人的にはここだと思っていて
大多数の人間にとって言葉っておそらくマジで犬猫の鳴き声と同じような(言葉が悪い気がするけどそれ以外にいい表現が無かった)
感情伝達の副次的な何かでしかないからそこを重視してなくてあくまで本体は感情の方であり、逆にASD傾向のある人って感情という検証の難しいものを根拠として言葉の方を解釈すると落ち着けないから言葉の方を主体に設定した上でそこから感情側を推定するみたいなルートでコミュニケーションするからそこで決定的にすれ違うんだ
厄介なタイプのコミュニケーションしてくる人間、基本的に「ああ、この人はこの方法以外に人との関わりをこれまで学ぶことなく育ってしまった生き物なんだ」と思って俯瞰して見ることでちょっとこちら側はちょっと余裕を作れる
基本的に人のコミュニケーション様式自体や言葉って実は「それ自体」には特に意味は無くて、単に慣習として慣れてるものや幼少期の環境からの影響等が出力されてるだけ。
全く意図的な選択ではなくて無意識に出てる。
(これについては自分も最近気づけたことで
それまでずっと人の言動って意識化されてるものだとなんとなく思ってたけど、考えれてみれば普通はほぼ意識にないはずで)
dyntopoの使いどころを理解
描きたいものの中の「何もない空間」を観察するの続けただけなんだけど、手をそれっぽく描くのが上手くなったという気がしてる
生徒に教えるために言語化したコツが自分の中にも蓄積されていくから、それがふとした時に自分の役にも立ってきてて無意識が意識化されてきた
まやかしやお世辞で成り立っているものみたいなのが自分は大っ嫌いで
だからこそ自分自身が折れることで高い理想像やプライドのほうを捨てたり、客観性の伴わないままで他者にその像を強要するみたいなヴァニティな方法のそのどちらもとりたくなくて
だから高いプライドや理想像の側を何がなんでも「誰もが嘘偽りない本心で認める本当の強烈なリアル」にしてしまうってやり方にこだわり続けている。
自分にも他人にも嘘をつきたくないから、ならば全ての幻想をリアルにしてしまおうという発想。
(この強迫観念が「夢幻とリアルと等価性」の根幹であり、その本体は誠実性や努力といったシンプルなもの。)
そしてなぜそこまで出来るかっていうのも、プライドが異常に高いからだと思ってて
プライドの高さがまずあって、コピーレベルの精度で再現するっていう神がかった能力を持つことって部分にアイデンティティの大部分を固定しているからこそ
それを自他共に認める共通認識として成り立たせるため、それをやるしかないと自分が自身がそう思ってるからだと思う。
とにかく自分を信じて、「自分には絶対にこれを寸分の狂いもなく写しきる能力があるんだぞ」「少しでもズレを許すことは自分自身への敗北だ」みたいに思って描くと少なくとも自分はそれが描ける。
それは描けると信じているから以外の何でもなく、それによってのみ自分で自分の納得いく精度まで描かないと気が済まなくなれる。
(狂いなく描くためには自分自身が狂う必要があるということ。)