おめでとうございます。
おめでとうございます。
日本人が「どこの昭和の店だよと思ったら、米国のグローサリーだった」と呟いたら、そこから米国人が好きな日本の昭和の風景の連投となった。
とても興味深いのが、米国人が投稿する画像が街歩き界隈の投稿する写真と、感性がほとんど変わらないことだ。
日本を舞台にした青春アニメや、Instagram経由での日本のエモい写真の拡散が、日本旅行する米国人の風景への感性に影響を与えているのかもしれない。
x.com/vandiemen_/s...
実際、ある程度年齢いってから色んな作品に批判的な目を向けるようになった時に、「この道は、 Xの250フォロー、40フォロワーくらいで、全てのツイートがバズったツイートへの嫌味ったらしい批判引用リツイートみたいな怪物と繋がっているんじゃないか…」みたいな怖さは感じると思う。
ある程度歳をとってくると、その作品の主要な世代から一回りも二回りも離れてくることがある。
そういう状況で自分の感覚で作品を批判することは、自分が老害になっているのではないかという疑念と表裏一体になってくる。
その場合の安全牌が「これは若い人向けの作品だから」という言い訳の箱だし、実際によほど許せない作品でなければ、年々多くの作品がその箱に放り込まれることになる。
その状況を打破するとしたら、どこまで自分の老害性を受け入れるかという話になる。
たとえどういう内容であったとしても、自分達で終わらせる作品を作った後に新作短編を作るのは筋が通っていないし、それなら最初からシンエヴァの中にそのエピソードを取り込んでおけと思ってしまう。
エヴァの呪縛から解き放つ作品を作っておいて、また新作を作るなんて葬式すらまともにできないのか。他の新作を作ってくれ。新作を。という気持ち。
間門湯の脱衣所で涼みながら、爺さん四人組の雑談を聞いていた。
一人の爺さんが「コンビニ弁当ばかり食べていると、身体に悪い」と話したら、他の爺さんが「野菜を食え」「鍋のレシピを一人分にして、片手鍋で一人用鍋を作れ。鍋なら野菜を取れる」などの実用的なアイデアを話し合っていた。
銭湯ではこういう爺ヘルスネットワークのようなものがあり、実はこのような人間関係に参加できるかどうかで、独り身の爺さんの健康は結構違うのかもなと思った。
あー、そこまで見てなかったですが、掲示板を傷つけないテープとかですかね?
こういう公共の場がゆるいBBSになっているのは好きです。
めっちゃくしゃみしますね…きついっす。
本牧のブギーカフェ。古き良きアメリカンダイナーという感じで、店の客の九割がバイク趣味の爺さん達という感じだった。
横須賀のどぶ板通りにもアメリカンダイナーは多いが、本牧は正直交通の便が悪いので、良くも悪くも地元住民?の溜まり場となっており、それがアメリカの国道沿いのダイナーへの擬似的な旅行みたいで良かった。
店内もレトロでかわいいです。
住民向けの掲示板がおばちゃんの愚痴の口調で、ゆるくて良かった。
くしゃみしながら散歩してます。
本牧の間門湯。ここはとても群馬の銭湯みたいだった。小規模の建物の銭湯で、浴槽も二つで広くない。ただ、お湯の温度は大変高く、二つの浴槽は中で繋がっているから、どちらも同じ温度だ。
こういう条件がとても群馬の銭湯っぽい。桐生の桜湯みたいな。
いなり湯。本牧ゆあそび館から歩いて十分ほどだが、ここは最高の銭湯だった。番台形式の宮造りだが、脱衣所には天狗やシャンデリラ、龍など、店主が趣味で買ってきた骨董品らしいものが並べられていて、親戚の家の蔵みたいな印象だった。喫煙所にも巨大な亀の甲羅があったし。
浴室もなかなか凝っていて、鯉が描かれたタイルやペンキ絵も良かった。
本牧ゆあそび館。ビル型銭湯でロビーの休憩所のスペースが広く、好印象。
浴室の電気が暗くて、横浜なのに千葉県の銭湯みたいだなと思った。千葉にはたまに浴室の電気が暗い銭湯がある。
元町のウチキパン。日本でもかなり初期に食パンを作り始めたお店らしい。久しぶりに食パンを買ってみたのだが、なかなか美味い。
中華街で昼飯を食おうとしたがどこも混んでいて、しょうがないから自分のフィーリングだけで決めた店に入ったら、店先の席に老マダムが座って紙の新聞を延々と読んでいて最高だった。
ちゃんぽんも野菜たっぷりの優しい味で、美味しかったです。しかし、どう考えても麺が中華麺ではなくスパゲティとしか思えなかったのだけど、ここはそういう感じなんだろうか。
石川町の喫茶店モデル。前々から入ってみたかったけど、やはり名店ですね。
「また何かの炎上とか流れてくるのかね」と XのTLを恐る恐る見にいったら、柔◯◯さんの男性器画像が最初に目に入って、普段とは別の意味で Xが終わっていて笑った。
何かを価値判断する時に、「新しい/古い」という軸をネタでも用いてはいけないと思っている。
違う話だけど、近年の日本のSNSでは冷笑がやたらと嫌われがちだ。ただ、その矛先を弱者に向けるから問題なのであって、愚かな状況自体に向けることに何の問題があるのか分からない。
むしろ、冷笑や皮肉を去勢して真面目になればなるほど、悪い意味で日本人らしくなっていく人が多いんじゃないかという気がする。「冷笑はもう古い」と「現代」という長いものに巻かれるほど、かつての世間に同期することで善悪を判断していた古い日本人に近づいていくのを肌で感じる。
優れた冷笑はBreakキーだ。相手を鼻白ませ、実行中のプログラムを中断させ、愚かな状況自体に目を向けさせる力がある。
これは、ミランの母親が殺され、自宅の廃墟に「ボスニアを東京まで拡大せよ」という落書きが書かれていたことも踏まえると、単なる水分補給ではない。戦火から遠く離れた安全な国でぬくぬくとテレビを通して戦争を見て、ミランやハリルのように民族や宗教などの記号をもとにどちらが善悪かを判断しがちな(当時の)先進国への強烈な皮肉だと思う。お前らみたいな奴らが作るのは、この小便みたいなものだ、と。
クストリッツァもそうだったが、旧ユーゴスラビア人はこういう皮肉と冷笑と自虐に塗れた反戦映画を作るのが本当に上手い。
これは本当に地獄のような映画だった。ただの気の良い人間達がいかに互いを記号的に捉えて、略奪や虐殺を繰り返していく。その果てに紛争に巻き込まれた者は誰も助からない。
ある意味では極度の冷笑や皮肉を元にした反戦映画と言える。クストリッツァもそうだったが、旧ユーゴスラビア人はそういう映画が本当に上手い。観ていてこんな状況には絶対に陥りたくないと思えてくる。
確か、ムスリム人部隊に追い詰められたセルビア人部隊がトンネルの中に閉じ込められて出られなくなり、水も無くなっていく。そこで彼らは一緒に閉じ込められた米国人のジャーナリストに、「コカ・コーラだ」と言いながら小便の回し飲みを勧めるシーンがあった。
『LEPA SELA LEPO GORE』(美しい村は、美しく燃える(日本語タイトル『ボスニア』))は、ボスニア紛争を扱った忘れ難い傑作の一つだ。
原風景を思い起こすような長閑な村で、セルビア人のミランとムスリム人のハリルは家の軒先で蒸留酒を飲みながら仕事の苦労話や馬鹿話で盛り上がる、子供の頃からの親友だった。互いのことはなんでも知っているし、民族や宗教の違いを気にしたこともなかった。
しかし、ボスニア紛争が勃発し、テレビで民族や宗教などの記号に基づく憎悪を煽るようになると、次第に彼らは変わっていく。互いにそれぞれの民兵組織に入隊し、各々の個別性はゆっくりと殺されていく。
ゴーグルも良いですね。豊田徹也さんは、本当に会話と会話の隙間の沈黙のようなものを描くのが上手い。
ぜひぜひ!
アニメ抜きで実写映画だとこの辺りが好き。
かなり血肉になってるパターン。七夕の国と12色物語とヨコハマ買い出し紀行とベルセルク(断罪篇)のアンダーカレントも入れたかった。
timesgoneの新譜が本当に良い。timesgoneのアルバムの中で、一番ポップで中毒性がある。
open.spotify.com/album/16NYCs...
これ、岩明均の『七夕の国』も入れたかったし、盛れてるのが多いが九作は流石に少なすぎるし、仕方がないか。
はい