Xで東ちずるさん御本人にフォローされて流石に言葉届きすぎだろとびっくりした。。。ありがとうございます。
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スマホ移行成功!
別所沼公園/夜
だれがなんと言おうとも勝手に作家として生きるのも、いいとおもう。
書かねばならない心とキーボード、文体と構造、読者と批評があれば、あなたはすでに作家です。
社会と賞という形で折り合いがつけばなおよいですが。
賢治もゴッホもゴーギャンも、生前は折り合いがつかなかった。
作品を書いているとき、内面に立ち上がる「内なる作家」を活かすこと。その人がつれてきてくれる景色を美しいとおもえる限り続けること。
しかし、アホだよなあ、とおもう。人間を代替するものを一生懸命つくるんだから。核と同じでとめられない。それをもったものがもつパワーが絶大だから。10年後には核とAGIで国際秩序が維持されるようになるのだろう。
音楽や、ペインティング、彫刻といった肉体を介在させる芸術は力を失わないだろう。言葉は難しい。人間のプロセスをみせる必要がある。それに作家論やエッセイは価値を持つかもしれない。
アウトプット、結果至上主義の行き止まりだ。ケアという地道なプロセスの価値が高まっていることとも、つながっていくだろう。
AGIは五年で出てくんじゃないの、という話を聞いた。人工総合知能。大半の人間の代替になる。AGIとAIをつかうAIエージェント、労働AIによる自動企業があらわれる。投資会社なんかそれだけで十分だ。
人間には雑務、肉体労働、感情労働、プロセスこみの芸術、スポーツがのこされるだうか。
AIにプロンプト与えたら小説かけましたーとか、それどころじゃない。アウトプットだけで芸術をみるなら人間の仕事はなくなる。
差別化は、それを生み出すプロセスだ、プロセスと信頼をふくめて作品になる。
芸術ってなんだろう、という問いの価値がたかまる。わるい話ではない。
次作は群像をとれるレベルの新人賞向けとしてはかなりパンチある集大成なので、拙速にならぬよう丁寧に仕上げる。
狙いは来年。が、もうドラフト書き上げているので根詰めれば今年も間に合うかも。が、講評を受けるべき。落とすともったいなさ過ぎる。
川で泳いで、手打ちうどんを食べ、子供にガンプラつくった夏の終わり。
地上は苦で、無意味で、喜びだ。
ようこそおいでくださいました。と、赤子を取り上げる度に、よねは言い続けたのだろう。
作品につかまれてから数日、作品と共にくらした。長い小説の醍醐味だ。世界を捉える目の精度が高く、文章が瑞々しい。それに触れることの喜びがあった。
読了し、顔をあげると、犬のように5歳の息子が八月のリビングをはねまわっていた。
感性と知力があれば、幼少期は自然にひらかれ、絵、音楽、生物学、天文学と興味をうつしていくことは当然ある。歩の描写に違和感はない。
が、そのあまりに博物的な教養描写に、辟易するひともいるだろうなあ、とも感じた。
北海道の一世紀だが、アイヌは出てこない。母に聞くと戦後しばらくはクラスに1、2人くらいはいたとのこと。
アイヌを扱うと作品がそちらに強く傾くから、意図的にはずしたのだろうか。
ただ、同化政策で透明化してしまった彼らに気づく経験は、少なくとも昭和平成の僕にはなかった。
だからアイヌに会っていても「見えない」から作品に出てこない、という描写はリアルともいえる。結果的に。
一人称で舞台、人物、主題を限定することで完全な構造美をもたせた火山のふもとで。
三人称複数視点、北海道、三世代、自然と人文を光という主題でゆるく束ねたような関連テーマすべてを網羅した主題からなる、光の犬。
二つは対照的で、なかなか小説が自分とかみ合うまで時間がかかったのだが、農業学校でバターをつくる顔に傷がある少年のエピソードで掴まれた。北海道には実際、そのような親元で過ごせなかったり不登校の子供たちが再起をはかる学校がある。北星余市高校とか。
歩と始の姉弟は、うちの兄弟の要素をシャッフルしたよう。
光の犬読了。
人が偶然であい、生まれ、それぞれの能力に応じた生をおくり、病を得て死んでいく。それが北海道の100年=開拓の100年を舞台に描かれる。
犬の生が人のそれと対比されるが、次第に近似したものに。
キリスト教を扱うが、作品は仏教的で、結果として日本に土着化したキリスト教受容の表現となっているようにおもう。
北海道でうまれ、僻地と都市で19年弱暮らした身として、凄まじくリアルな描写。
人生を開くために移動が必須であること。札幌で止まる人、その先まで行く人。東京を飛び越えて外国へ出る人。
マイナス20度の世界では駅までに凍死することがあること。
右肩、うでが痛く上手く動かないので、弛緩作用がある薬をのんだらなんと痛みが楽になった。これやはり精神起因で無意識に筋肉が緊張して固まっているってことだよな。それが限界まできている。
🔸『徳島文學』第8号は、徳島から発信される新しい形の文芸同人雑誌です。
🔸詩人清水恵子による巻頭詩、歌人大森静佳の短歌と散文、石澤遥、宮月中の短編小説など、気鋭の作家たちの力作が並びます。
🔸また田丸まひる、紀野恵、涼野海音、うっかりら短歌、俳句も充実。
🔸数多くの文学賞受賞者が参加する『徳島文學』、お手に取っていただけたら幸いです。
🔸著者一覧
清水恵子
大森静佳
石澤遥
宮月中
涼野海音
うっかり
田丸まひる
紀野恵
永田愛
久保訓子
高梨花子
菊野啓
阿部あみ
北迫薫
🔸以下のAmazonのサイトでお買い求めいただけます。
www.amazon.co.jp/s?me=A3N6NWQ...
松家仁之の「光の犬」は、高められた目で地方と中央での自分の人生を再体験するような感覚がある。自分よりも高い場所から世界をみた結晶体。これが北海道100年のある人生なのだ、といわれれば納得しうる。
正確な言葉で観測され、フィルムに再構築された北の世界。文体に吹く風はとてもよく馴染む。
北海道の和人の子(私)には、自分のものとして語れる土地の歴史があまりない。前作を書いていて気がついた。
アイヌではない。
歴史も言葉も本州のもの。
開拓は帝国主義的侵略。
三代前はわからない。
すべて仮。
ゆえに、
コスモポリタン的に、自然科学や芸術、心にいくしかない感じはあった。
人の理からはなれればそこには世界があり、心と関係を結ぶことができた。
北海道の人間は、人によって程度は違えどアイデンティティが宙ぶらりんなところがありまして。
内地でフォーカスされるアイヌの歴史はアイヌのもの。我々和人がファッション感覚で使っていいものでは、当然ない。我々の歴史ではない。
では開拓の歴史は?ここを切り開いたご先祖様の努力には敬意を払えど、それは収奪の歴史と表裏一体で。今の時代にフルにコミットできるものではない。
そうなると、身に付けられる過去がない。そして学校で教えられる古文とか、社会の歴史も全部内地のもの、だいたい関西のもの。遠い。
なんとなく日本人で、なんとなく道民。自己をなにかに仮託できない
なので、よさこいソーランにのめり込んだりする。
なんか立派なポストが流れていると思ったら自分だった。芸術をやっている時の人格。
メッセージ性の強い作品こそ、表現強度が高くなければならない。その観点ではセリフで説明するシーンも多いのだが、作品の目的をかんがえると許容範囲かなと。
多くの被爆者がこの世を去り、原爆は、もはや映画と本でしか、理解できない領域にはいりつつある。精神の劣化を恥じない風潮が著しい今、このような優れた作品が作られたことは希望と感じた。
監督は長崎育ち被爆三世のカソリック。
随所にみられる生活に根付いた信仰の描写は美しく(美しい、としか言いようがない)、それ故の、現実の地獄と不条理。
実存をかけたことがわかる表現でした。
nagasaki-senkou-movie.jp
長崎 閃光の影で
鑑賞。
長崎の原爆を知識ではなく心に刻むために最良の作品。
作品強度は高い。キリスト教の赦しと憎しみの対立軸。朝鮮人差別、自決強要、軍国主義者の転向。映像も素晴らしい。とくに光の表現。信仰の地長崎ゆえの、原爆と人間精神の本質にせまっていた。
2ヶ月前に訪れた浦上。あの坂からみる天主堂がそのままにでてきたときの既視感。ほの暗い天主堂のステンドグラス越しの光につつまれたときの感覚がまだのこっているのだが、そこに核がおちた。精神だけ80年前を生きたような、得難い映画体験だった。
古い日本映画のような、清廉さも感じた。
続
日本キリスト教の始まりともいえる秀吉による26聖人殉教の地長崎。200年以上の潜伏キリシタンによる土着化した信仰、浦上四番崩れから信徒たちの強制移住をへて、ようやく信仰が許された彼らを待っていたのは同じキリスト教国による核の炎だった。
圧倒的な現実を知りそれでも残る何かを考え続ける。
プロテスタントの合理精神、近代ユダヤ教の科学との調和、ホロコーストへの反動の果てに、戦後を支配するものとして作られた核。
不条理に耐え人生に意味を与える心の営みであった、素朴な潜伏キリシタンの信仰。
どちらも人の営みだが、80年前の長崎でそれが交わってしまった。
未発表原稿を某所へ提出させていただいたのですが、正直公募より緊張しますね。。。笑
気分的には大学に入り直したような感覚があります。
明治維新後のキリスト教入信者は、戊辰戦争で突然朝敵とされた藩出身がおおかったという。なるほどね。
素晴らしい積読が大量にある。
SNSの功罪はずっとかんがえています。
近所の屋敷森が伐採され、家が20棟ほど建った。
地均しとコンクリートの基礎工事はみんな外国人がやっていた。一昔前ならガテン系の日本人あんちゃんがやっていた仕事。
人口減と若者の職業選択の変化で、彼らが働いてくれなければ、もう社会は維持できない。
時代の進みが速い地方だとさらに顕著だ。