敵基地攻撃能力、ちょっと前までミリオタの間でも否定的な見方の方が多かったんだよな。俺は今もどっちかというと否定的な方。
WW2における戦略爆撃が敵対国の戦意を挫くことに繋がらなかったのもあるし、実際の使用には政治的なハードルが非常に高い。それに自衛隊装備をそうやって総花的に増やしても、効果的な防衛力の整備には繋がらんのでは……という感じ。当たり前だけど戦争時には標的にもされる。
敵基地攻撃能力、ちょっと前までミリオタの間でも否定的な見方の方が多かったんだよな。俺は今もどっちかというと否定的な方。
WW2における戦略爆撃が敵対国の戦意を挫くことに繋がらなかったのもあるし、実際の使用には政治的なハードルが非常に高い。それに自衛隊装備をそうやって総花的に増やしても、効果的な防衛力の整備には繋がらんのでは……という感じ。当たり前だけど戦争時には標的にもされる。
あとこの手の議論あるあるだけど、ブルシットジョブ減らしたら労働力不足解決!みたいな奴、そら数字通り働いてくれるんならそうだろうけど、自由経済の下でそんな簡単に労働者が動いてくれたら苦労はないし、人手不足の業種って、その仕事のスキルも適性も何もない人間を雇い入れたら成立するってわけじゃないんすけど、て話になる。
他にも色々ありますけど、こういう皮算用で国民が説得されちゃうの絶対マズい奴なのでは……。
というか統計数字におけるパーセンテージって一桁台に乗るだけでも無茶苦茶大きなインパクトがある、ということがあんまり理解されてないような気がする。まあ俺も実感としては一桁台ってあんまり大きくないなとか思っちゃう方なんだけど……。
x.com/i/status/203...
なんかこー数字遊びしてる感じが凄いな……。3%頑張れば、の時点でかなり無理を感じる……。Reply元のツイートもだけど、なんか労働力不足はフェイクニュース!みたいな認識が国民一般にあるんだとしたら先行きますます明るくない気がする。
生活スタイル自体も完全に変わっていますからね……。しかし逆に考えると、体感ゲームをストーリーに持ち込んだパラレル西遊記なんかはリメイク・再解釈してみると面白い作品になるかもしれません。
反面、少女表現としてはちょっと懐古主義的な印象も受けますね。これは原作に寄せるとどうしてもそうなってしまうのかもしれませんが。
…で、まあ、藤子F先生半端ねえなと思うのは、海底鬼岩城が連載されていた時期の方が、スタニスラフ・ペトロフが世界を救うよりも「前」だってことなのよね…。
(Twitter再放送)
海底鬼岩城のストーリー、バギー特攻がクローズアップされがちだけど、現実の冷戦がまだ終わっていない1983年の時点で、海底の冷戦終結を描き、さらにその冷戦から抜け出せないまま永遠に戦いに備え続ける「無人自動報復システムAIポセイドン」て発想で話を作る、てのは結構スゴイことだよなと今思った。
それはさておき、海底鬼岩城の『敵国からの攻撃に備えた早期警戒・自動報復システムが、自然現象を敵からの攻撃と誤認して世界を滅ぼそうとする』て筋書き、恐ろしいことにかなりこの話(
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%...
)と一致していて恐ろしい。
既に実在している!(現実は俺の貧相な想像力を常に越えていくのだ……)
ハチャメチャなストーカー行為してそう(恋の諜報活動)
KGB(恋するガールの暴走)
今日海底鬼岩城見に行ったとき、後ろにいた男子中学生(たぶん)が「しずかちゃんエロいよな」「わかる」とか会話してたのが若干印象的であった。確かに新ドラになってから妙にコケティッシュな描写になっている気もする。
ていうか2017年に国立新美術館で新海誠展を既にやってるよという情報を頂いたので、じゃあ別に今推しの子展やってもいいんじゃない?みたいな気もしてきた。
www.nact.jp/exhibition_s...
不買運動が群集心理で過激化・暴走を引き起こすようなことがなければ、結局は個人の自由の範囲内なんじゃないかと思っています。それについてまた各人が意見を述べるのもまた自由ではありますが。
じゃあもうこれ答えでいい気がしますね……。
自分はそういう無関係な作家への不買運動に参加しようとは思わないけど、不買運動を行う人には人なりの判断があるとは思っています。それが単なる反射的な行動ではなく、熟慮の上にそうする、というのなら、それはそれで一つの立場ですよ。
出版社の問題を漫画の不買運動に繋げないでほしい、というのは理解可能なんだけど、そうやって作家を人質にしているから出版社に自浄作用が働かない、ということもありそうなんで中々判断難しいよな、というところ。最終的には個人の思想信条で優先順位つけてやるしかなさそう。酷な話ですが……。
こういう言い方も好きじゃないけど、大抵の不買運動は一部の不心得者、あるいは経営陣の判断に起因しており、末端の労働者には全く関係ないことだったりするわけです。それでも企業の業績は末端の労働者にまで波及する。これについて明確な「正解」って存在しないとは思うんですよ。
まあムーミン(トーベ・ヤンソン)展とか国立博物館や美術館でやっててもそこまで違和感はない気がするし、そういうポップカルチャーを取り上げること自体に否定的になる理由はないよねまあ。ただもう少し「枯れて」からでいいと思うけど。
仮定の話で議論しても仕方ない気はしますけど、推しの子展を国立博物館や美術館でやるのはそんなに悪くもないと思うんすよね。ただそれは20年くらい経ってからでもいいんじゃないかしら。今まさに生きている文化は民間でやっちゃえばいいじゃん、みたいな感覚が割と強い。
逆に言うと、国立の博物館や美術館を民間に近づけることが国民の望みなのかもしれないなとは思うのですが。
じゃあ別の場所で覚えたのかなあ。他に全く心当たりがない……。
水圧についての解説は入れてもよかった気はしますね。子供向けなので。科学解説は弱めだった印象です(深海生物の名前とかトリビアルな部分はそんな悪くもないとは思いましたが)
そういやギュヨーの解説って原作にありましたっけ?確かそこでギュヨーという概念を覚えた記憶があるのですが、記憶が曖昧。
あ、なんか今調べたら素潜り世界記録200m越えてるんだ……。生身の人間がそんなとこまで堪えられるんすね……。
新ドラ全体に言えることなのかもしれないんですが、SF的要素が弱い気がするんすよね。もう少し踏み込んでも子供はついてくるんじゃないかと思うんですが、これは楽観的すぎるのかな。
あと割とどうでもいいところだと、水深100m越えたら呼吸どうこう以前に水圧で死ぬと思うんで、テキオー灯の登場はもっと早くてよかったのでは……。これ原作もこうだったっけ……。
劇場版ドラえもん海底鬼岩城を見てきた。ポセイドンのキャラが薄すぎる……。国家滅亡後も与えられた職務を果たし続けるAI、というのはドラえもんやバギーと対置するキャラとしていくらでも面白く出来ると思っていたので肩透かし感が非常に強い。自動報復システムについての解説がほとんど端折られていることも含めて、原作の拾い方としてはあんま上手くないな、という印象。
ここらへんリメイク版宇宙小戦争の方がアクチュアルな要素を取り込みつつ上手く処理していた気がする。アクションや作画は流石の安定ぶりで安心して見られましたし、ムー連邦の掘り下げ方はよかったです。新キャラのババアも悪くない。全体としては普通な感じです。
クランベリーチーズベーグルうめえ……。ベーグル大好き……。
マジかよ……。広末凄いな……。
人間は本質的に自分の感情や思考を正当化したいという欲望があり、それを原始的に実行するならシンプルな共感ベースのコミュニケーションになり、もう少し複雑になると正当化のための論理を編み出してその正当性に共感することを求める(異論は自動的に論理・倫理に誤りがある、と判定される)という論理的共感ベースコミュニケーションが生まれる。これをまず認識する必要がある。
共感ベースのコミュニケーションに対して批判的な人々が共感に依存していないかというと、そこには若干の疑問が残るところではあるのだよな。自分たちと意見を同じくする者同士で同様の共感ベースのコミュニケーション空間を形成していることはよくある。
それ自体は必ずしも悪いことではないのだけど、そういう人たちが「自分たちはそうした共感ベースではなく論理的思考に基づいて繋がっている」という自認を持っていると非常に危ういなと感じる。何をやるにしてもメタ認知がないと世間と同様の落とし穴にはまりがちなので。